おめでとうございました。
ずいぶん長らく放置してたこのブログですが、久しぶりに更新します。もうオフシーズンしか更新しないんじゃないかってくらいの放置っぷりですけど、ほんと、Twitterやっちゃうとついそっちでネタ書いちゃうんで、ブログの更新が鈍るんですよねぇ。
まぁそれはそれとして、たまには更新しないとすでに過去の人なのが完全に歴史に埋もれた人みたいになっちゃうので、今年もAdvent Calendarにかこつけて書いちゃいますよという話。そうでもしないと更新しないんで。
今回は恒例の「レジェンド伝説」、ゴールキーパー編です。
ゴールキーパーというのはけっして華やかなポジションではありません。勝敗に直結するポジションでありながら、「勝ち」に直接貢献できることはほとんどありません。「うまくやって当たり前、ミスをすれば盛大に叩かれる」という観点では、前回取り上げたセンターバック以上のプレッシャーがあると思います。
しかし、それすらも試合に出られる人たちが得られる「特別」であります。通常一つのチームに3~4人のゴールキーパーが所属していますが、試合でのポジションは言うまでもなくたった一つしかありません。つまり、試合に出られない人のほうが多いのです。
そんな中でも、サブの選手たちはいつ来るとも知れない出番に備えて、レギュラーの選手は彼らにポジションを奪われないよう、また試合のプレッシャーに潰されることのないよう、日々のトレーニングに打ち込んでいます。そんな守護神たちの伝説。そうは見えないかも知れませんけど、サッカー百鬼夜行はゴールキーパーの選手を尊敬しています。
ハーフナー・ディド
1997年加入。この年JFLでの優勝とJリーグ昇格に貢献。98年までプレイして現役を引退しましたが、札幌ではGKコーチとしての印象のほうが強いかもしれません。
試合前の練習では一番最初にGK&GKコーチがピッチに出てきますが、ディドがコーチだった頃は 現役選手よりディドへの声援のほうが大きかったくらいの人気でした。
ファンサービスに厚い一方で割と激情タイプの人で、判定に抗議して主審の名前の看板にケリを入れたことも。
札幌退団後は横浜F・マリノスや清水エスパルスなどでコーチを歴任、昨年はオランダでアマチュアクラブの指導を行っているらしいという情報まではわかったのですが、現在もそこにいるかは不明。
佐藤洋平
1999年鹿島アントラーズから期限付で加入。鹿島時代、デビューから3試合連続でPK戦で敗戦(当時はリーグ戦もPK戦まであった)、3つ目の敗戦後に人目をはばからず号泣していた姿と、1997年のチャンピオンシップでバックパスの処理を誤り、ゴン中山に奪われて決勝点を決められた姿が強烈な印象に残ってたので、札幌に来たときは「あの佐藤洋平が札幌に...」と思ったものです。
一時はチャンピオンチームでレギュラーを張っていた実力は伊達ではなく、2000年には平均失点0.55点という堅守でJ2優勝に貢献。翌2001年には札幌に完全移籍し、堅実なセービングで現在のところ唯一のJ1残留に大きな力を発揮しました。
もっとも、シュートストップやハイボールのキャッチには定評があった一方で、「果敢に飛び出したはいいけどボールに触れない」とか「足でボールを扱うとたまにびっくりどっきりパスを繰り出す」師であるディドそのままのプレイも多かったです。
2003年には監督との対立や自身の不調も重なりベンチを温めることが多くなり、この年途中からジュビロ磐田に期限付移籍。結局このまま札幌に戻ってくることはありませんでした。
現在は日本代表のコーチングスタッフとして、U-15の指導などを行っています。童顔。
藤ヶ谷陽介
1999年、磐田東高校から加入。U-20代表の正GKとして活躍するも、札幌では長く佐藤洋平のサブGKに甘んじていました。2003年にレギュラーを掴むと、セクシーなバリトンボイスで観客を魅了。
それ以外は佐藤洋平と同様に、いかにもディドの弟子らしいストロングポイントとウィークポイントを兼ね備えた選手でしたが、洋平よりもさらに前に出ないタイプのプレイスタイルでした。
それが災いしてか、2004年には禁断のリセットボタンを押して「弱くてニューゲーム」となった札幌において、攻撃偏重というにはいくらなんでも後顧の憂いがなさすぎる最終ラインの後ろのスペースをカバーすることができなかったのか、イヤになるほどシュートを打たれた結果、本当にイヤになって翌年ガンバ大阪へ移籍。
ガンバでは時折...というか割と繰り出される凡ミスに「ガヤる」という言葉まで作られながらも、2013年までレギュラーの座を守り続け、契約満了後ジュビロ磐田に移籍するも、翌2015年再びガンバに復帰しています。J1&J2の両方で順位表の一番上と一番下を全て経験している希有な選手。童顔。
佐藤優也
2006年途中にヴァンフォーレ甲府から期限付で加入(翌2007年に完全移籍)。藤ヶ谷の移籍金をそのままつぎ込んで獲得した林卓人が腰痛で離脱後に正GKの座を掴む。たぐいまれな身体能力がありながら、随所に見せるポカミスが魅力でした。
在籍時のハイライトは何と言ってもこの年の天皇杯5回戦でのアルビレックス新潟戦。2-1でリードして試合時間も残りわずかの状況で、相手のクロスボールをキャッチした優也が、そのボールを足下に転がしたところで、クロスボールに競りに行って優也の背後に残っていた矢野貴章にかっさらわれてゴールを許し、同点に追いつかれたシーン。
時間を使うべき状況を考えればきわめて妥当なプレイではありますし、GKは普通「背後に誰かいる」ことなど滅多にないので、彼が特段ぽっぽこぴーだったわけでもないのですが、こういうことをやらかすのがいかにも優也らしい。
結局試合はこのままPK戦にまでもつれ込み、最終的に優也が止めて勝ったのでよかったのですが、まさかサッカー場で「優也~! 後ろ後ろ~!」と全員集合の観客みたいなことやるとは思ってもいませんでした。
札幌には2010年まで在籍。その後ギラヴァンツ北九州、東京ヴェルディを経て現在はジェフユナイテッド千葉でプレイ中。レスラー顔。
高原寿康
2005年にジュビロ磐田から期限付で加入。ガンバに行った藤ヶ谷の移籍金を全てつぎ込んで獲得した林卓人がヘルニアで出られなかったため、開幕からしばらくゴールマウスを守っていましたが、不安定なプレイが多かったからか、林の復帰後はベンチを温める日々が続きました。
翌年も引き続き期限付で札幌でプレイしたものの、途中加入したムラッ気ありまくりの佐藤優也にすら第2GKの座を奪われる程度には不安定だったようです。
この年のオフには所属元の磐田から契約満了となり、2007年には練習生として札幌に加入。後にたゆまぬ努力で正式な契約を勝ち取るに至ったものの、不幸にも骨折に見舞われてしまい、2008年まで試合出場なし。
しかし、2009年になると佐藤優也から第2GKの地位を取り戻すと、シーズン後半には正GKだった荒谷弘樹を怪我で回ってきたチャンスを見事にものにし、レギュラーの座を掴みました。
以前とは別人のような安定したプレイを披露するようになり、2010年も開幕からゴールマウスを守り続けましたが、さらに不運なことにシーズン終盤試合中にアキレス腱を断裂する重傷を負い、またしても長期離脱。まるまる1年以上を棒に振る形となり、2012年に復帰したもののこの年限りで札幌との契約が満了しました。
磐田でも骨折で長期間プレイできなかった時期があり、GKとして理想的なエヴァンゲリオン体型ながら、大きな怪我について回られた悲運のGKですが、36歳となった現在でも町田ゼルビアで正GKとして活躍しています。証券会社の営業マン顔。
高木貴弘
2007年に大宮アルディージャから期限付で加入。「ソダンがつぶし、ブルーノがカバーし、高木が止める」というトライアングルでリーグ最少失点を支え、J2優勝に貢献しました。
翌2008年も引き続き期限付移籍を延長して札幌でプレイし、守護神としてゴールマウスを守りましたが、慢性的な肩の故障に悩まされ、シーズン途中から佐藤優也にポジションを明け渡し、このシーズン限りで大宮に復帰しました。
プレイスタイルとしてはどちらかといえば前に出て止めるタイプのキーパーで、前に出たところを狙われることも多かった気がします。2008年の川崎フロンターレ戦で、ロングパスに抜け出した鄭大世をペナルティーエリアの外まで飛び出していって、ぶっ倒して一発退場。この時点ですでに交代枠3人を使い切っていた札幌は、代わりのGKとして曽田雄志を抜擢。「Jリーグ最後のVゴーラー」ソダンに「全てのポジション制覇した選手」の称号が加わる要因となりました。
その後、アルビレックス新潟を経て2011年に札幌に復帰しましたが、度重なる怪我でゴールマウスに立つことがほとんどできず、2012年を限りにFC岐阜へ移籍。2015年のSC相模原でのプレイを最後に現役生活にピリオドを打っています。現在は北海道コンサドーレ札幌のアカデミーでGKコーチとして後進を育てています。六本木のホスト顔。
イ・ホスン
2011年に韓国・東国大より加入。アンダー代表等の実績もほとんどなくまったくの無名選手でしたが、キャンプから頭角を現し開幕からスタメンを奪取。それほど派手なプレイはないものの、特にこれといったウィークポイントもなく、安定したプレイを披露し、この年の昇格に貢献しました。
しかし2012年はJ1のスピードに戸惑ったのか開幕かららしくないプレイを連発。さらに悪いことに5月のナビスコカップ大宮アルディージャ戦でアキレス腱断裂の重傷を負ってしまい、その後1年以上を棒に振ってしまいました。
2014年に復活を果たし、この年やってきた金山隼樹と激しいポジション争いを繰り広げますが、翌2015年にJ1に昇格する湘南ベルマーレに移籍。この際にTwitterで札幌サポーターに宛てたメッセージは多くのサポーターの心を打ちました。とはいえ、そんなサポーターも今ではク・ソンユンに夢中なのでまぁサッカーとはそういうもの。
湘南では秋元陽太の壁に阻まれ1試合の出場にとどまり、2016年からは兵役の関係もあり韓国の全南ドラゴンズでプレイしています。童顔。
阿部哲也
2002年に室蘭大谷高校から加入。試合にはほとんど出場機会がなかったものの、大食漢としてのエピソードばかりが伝わっています。あんまり試合での活躍を見たことがないのでタイプ的にはどんな感じかはわかりませんが、「千と千尋の神隠し」の坊みたいなイメージ。
数少ない試合でのエピソードとして、雪の埼スタ(対大宮アルディージャ戦)で出場停止の藤ヶ谷に代わりスタメン出場した際、積もった雪を集めて台を作り、その上にボールを乗せてゴールキックを蹴っていました。雪国で育った少年なら誰でもやっていたことですが、プロサッカーの試合でそれを実際にやるやつぁいないよなぁ。
なお、雪の降らないブラジル出身の大宮DFトニーニョがそれを見てよっぽどうらやましかったのか、フリーキックの時に同じことやろうとして主審に怒られ、「あいつもやってたじゃんよ~」みたいなことをいいながら残念そうに台を壊していたシーンがほほえましかったですね。
2006年に病気療養を理由に退団。その後フットサルのエスポラーダ北海道や北海道リーグの十勝フェアスカイでプレイし、現在は苫小牧市でサッカークラブの監督をやっている模様。芸人顔。
アルノ・ヴァンズワム
2003年~2006年ジュビロ磐田に在籍。札幌に在籍したことはもちろんありません。
2002年3月17日のJ1ファーストステージ第3節、ただでさえ戦力上位の磐田に対し、後半開始早々のロブソン退場で10人になった札幌が相手になるはずもなく、ほぼ一方的な試合展開に。
雨あられのように浴びせられるシュートを防ぎ続ける佐藤洋平に対し、ボールが自陣にすら来ないので、その場にしゃがみ込んで暇そうにしていたヴァンズワムの後ろ姿が未だに忘れられません。
その時の磐田はアウェイスタンド側に陣取っており、目の前で暇を持てあます姿を見せられた札幌サポーターの心に不快トラウマを植え付けました。別の意味で伝説のゴールキーパー。
というわけで、8人+1人のレジェンドたちについて書いてきました。J2はJ1で出場機会のない選手が出番を求めてやってくることが多く、どのチームにもよいGKが所属しているのですが、韓国代表ク・ソンユンと、V・ファーレン長崎でレギュラーを張っていた金山隼樹が所属している札幌はかなり恵まれているチームだと思います。
J1はアホみたいなシュートがエリア外から普通に飛んでくる修羅の国ですが、彼らには切磋琢磨しあってチームの残留を目指して欲しいと思います。