そんなわけで、今年も「コンサドーレ札幌 Advent Calendar」が開催されるということで、乗ってみました。ほら、こうでもしないとこの腐敗ブログ腐ったまんまになりそうなんで。いや更新する気はあるんですよ。マジで。
で、前回のネタはレジェンドだったので、今回はストライカーです。ネタかぶっとるやないかい! というおしかりの声は真摯に受け止め(受け止めるだけ)、相変わらずコンサドーレライフにはあまり寄与しないエントリとなりますので、人生の10分程度を無駄にしてもよいという方は是非ご覧ください。マジで。
え? なぜ19日にしたかって? 19が好きだからさ。いやほんとにほんと。マジで。
1998年、やっとの思いで上がった夢のJリーグで、栄えある「史上最初の降格チーム」の座を射止めたのを皮切りに、その後も3度も昇格を果たしながらも、3度とも史上最速記録を更新して降格するという、J1に上がるたびに何かしらの伝説を作り上げているコンサドーレ札幌。言ってみれば「出落ち芸人」とも呼べる愛すべきチームですが、「異次元の弱さ」の代名詞として語り継がれているほど不名誉な記録を海未出し続けている中で、お笑い以外に日本サッカーに貢献していることといえば、それは「なぜか優れたストライカーを輩出し続けている」というものでしょう。
絵に描いたようなプロビンチアであるコンサドーレにとって、たとえば海外の強豪チームのレギュラークラスの選手を呼んできたり、他のJチームから代表クラスを引っこ抜いたりなんてできるような金もコネもありゃしません。ですから、助っ人選手なら俺史上かつて聞いたこともないような名前のチームから、このインターネットが普及したご時世でさえほとんど経歴が出てこないレベルの選手をどこからともなく連れてくるか、あとは他のチームで性格に難がありすぎて持て余していた選手を拾ってきたり、当面使う気なさそうな選手を、試合出場のしやすさをエサに借りてきたり、もしくは契約の間隙を突いて一本釣りしたり、そうでなければ自前でユースから育てるほかありません。
そんなわけですから、少なくとも実績のある選手を獲得するよりはバクチ的な趣が強くなるのはある程度はしかたないわけですが、そんな状況の中でもストライカーだけは当たりを引く確率が高く、札幌で期待した以上に活躍し、最終的によそに持って行かれることが多いように思います。
コンサドーレで最初に活躍したストライカーと言えば、1997年に旧JFL得点王に輝いたホルヘ・ルイス・デリー・バルデスです。とはいえ、彼の場合は札幌に来る前に、セレッソ大阪や鳥栖フューチャーズ(当時)で既に活躍していたので、今回の事例からはちょっと外れる感じですね。
だとすると、やはり最初に思い出されるのは2000年のエメルソンでしょうか。この年札幌でJ2得点王に輝いた後、川崎フロンターレを経て浦和レッズで大活躍。2004年にはJ1得点王を獲得しています。ちなみに、札幌でエメルソンと2トップを組んだ播戸竜二、翌年に札幌に所属した大黒将志は、2004年のJリーグディビジョン1において、得点ランキングが1位エメルソン(27得点)、2位大黒将志(20得点)、3位播戸竜二(17得点)と、表彰台を独占しました(※3位は横浜F・マリノスのマルケスとタイ)。
なお、この年コンサドーレ札幌はJ2の最下位に沈んでいます。札幌がみんなで取ったゴールは、この年のJ2得点王ジュニーニョ(川崎フロンターレ)が1人で挙げた37得点より少ない30点だったことも、泣きながら書き記しておきます。
2001年の俺王様ことウィルは、札幌に来る前に大分トリニータで割と活躍していましたが、「御すのは不可能」と言われたほどの気性難だった選手がJ1で得点王に輝いたのですから、「札幌が育てた」と言っても過言ではないかもしれません。いろいろあってその後はあまり活躍できませんでしたが、デリーバルデス、エメルソン、ウィルと、(旧)JFL、J2、J1と各カテゴリでそれぞれ得点王を輩出というのは、この規模のクラブとしては珍しいのではないでしょうか。
その後、柄にもなくビッグクラブ気取りで大物を志向してみたら偽のロシアリーグ得点王を掴まされたり、他チームのレギュラーを引っこ抜いてみたらチームの戦術にてんで合わなかったりと、ストライカー的には不遇の時代となります。いえ、本来であれば、この時代を埋めるはずだった選手がいたんですよ。今でもオレが札幌ユースの最高傑作だと信じて疑っていない選手が埋めるはずだったのですが、この話はこれ以上はやめます。
まぁそんなわけでしばらく「点を取りまくる」ようなストライカーは、内からも外からもいなくなります。2005年なんてチーム得点王がセンターバックの選手だったくらいですからね。
そんな時代を経て、2006年。札幌はフッキという原石を手に入れました。正確に言うと、借りてきた。札幌では25得点を挙げ、得点ランキング2位。翌シーズンはまだお金があった頃の東京ヴェルディ1969(当時)に移籍、37得点を挙げ堂々のJ2得点王となっています。「Jリーグ無理!」と言ってポルトガルリーグに行かなければ、J1得点王にもなっていたでしょう。
渡欧後はご存じブラジル代表にも呼ばれ、ワールドカップにも出場。ちなみに2006年に1ゴール差で1位のボルジェス(ベガルタ仙台)は、2011年にブラジル全国選手権1部の得点王となっています。アホみたいなリーグですねJ2。
ただ、エメルソンもウィルもフッキも、みな他のチームからのレンタル移籍でした。彼らが札幌で活躍しても、むしろ活躍すればするほど、札幌が彼らを残せる可能性は減っていきます。
そりゃそうですよね。リーグ得点王を争うくらいの得点能力を持つ選手なんて、どのチームだって欲しい。それが、札幌ごときに出せる給料で雇われてるんですから、「うちならその倍は出せるで。なんぼ欲しいんや?」と言ってくるチームが出てきても不思議ではありません。札幌に優先買取オプションがあったとしても、億単位のお金をポンと出せたら苦労はしてないわけで。事実、彼らが札幌にいたのはわずか1シーズンでした(俺王様は後に復帰しますが)。
そういう意味では、2007~2008年のダヴィは、まさに孝行息子(?)だったと言えるでしょう。2007年に17ゴール(リーグ6位)を挙げJ2優勝に貢献すると、2008年は恐るべきスピードで降格まっしぐらのチームにあって1人気を吐き、リーグ2位となる16ゴールをマーク。その活躍が認められ、目にもとまらぬ早業でJ2降格をキメたチームに億単位の移籍金を残し、名古屋グランパスへ移籍していきました。その後はお金の味を覚えてしまったのか、中東に行ったり中国に行ったりしていたようですが、2012年にヴァンフォーレ甲府で32得点を挙げJ2得点王となり、現在では大怪我を負って離脱中ですが、鹿島アントラーズでコンスタントに2桁ゴールを挙げる活躍を見せています。
ダヴィの移籍後、2009年にやってきたのはキリノでした。スウェーデンリーグからやってきたブラジル人というあまりないパターンでの加入。それまで札幌で活躍したストライカーはみなゴリゴリパワフルにゴールを狙うタイプでしたが、彼らに比べると軽さとキレが売りの選手(マリオカートで言えばキノピオ)で、あまり点取り屋っぽい感じはしなかったのですが、それでもリーグ5位の19得点を挙げました。翌年以降はケガの影響もあり活躍できず、韓国Kリーグを含むいろいろなチームを転々としていました。2013年途中からUAEでプレーしていましたが、2014年途中にヴァンフォーレ甲府に加入してJリーグに電撃復帰。しかも、ブラジル人ではなく東ティモール人として加入という、別人というか別国籍になって帰ってきました。東ティモールだか南平岸だか知りませんが、言ってみれば「Jリーグの猫ひろし」という感じでしょうか。
キリノ以降は内村圭宏、都倉賢といった日本人選手の活躍が目立ちましたが、助っ人選手ではカラスパフォーマンスのジオゴ、進撃の巨人フェホ、秘密兵器レモスらネタ的な印象に残る選手はいるものの、得点ランキングの上位に名を連ねるような選手には出会っていません。もうそろそろなんかこうね、ヤバそうなヤツ来てもいいんじゃないですか、なんて思ってたところに、来期の新戦力としてFC岐阜で17点を挙げたコロンビア人ストライカー・ナザリトの加入が発表されました。コロンビア人にはあまりオモシロ人間のイメージがないのですが、ナザリト選手にはサッカー選手としてはもちろん、ネタ的にもこのストライカーの系譜に名を連ねる活躍をして欲しいものですね。