皆さんこんにちは。サッカー百鬼夜行でございます。2013年シーズンも終了しまして、札幌はプレーオフ圏内にわずかに届かない8位という非常に悔しい成績ではございましたが、異次元の弱さで降格した翌年の、ほとんどゼロからの再スタートということを考えれば、まぁ結果としては上出来だったのではないでしょうか。プレーオフ、行きたかったですけどね。
さて、今回はコンサドーレ札幌 Advent Calendar 2013への参加記事です。登録してる他のメンツがあまりにも濃すぎるので、何を書いていいかちょっと迷いましたけど、最近ここの更新もサボり気味ですからね。たまにはほら、サッカー百鬼夜行らしい記事を書こうかなと。名付けて「レジェンド伝説」。タイトルの時点でおかしい気もしますが、そこはそれ。もともと何もかもがおかしいサイトですから。
そんで、どういう内容かというとですね。コンサドーレにやってきた歴代外国人選手を振り返って、「忘れたくても忘れられない伝説」を残した選手を俺基準で紹介しようというコーナーです(成績はいずれも札幌在籍時、リーグ戦のみの数字)。まぁ「サッカー百鬼夜行別館」でやってたスター列伝のタイニー版みたいなもんですね。一部ネタもかぶってます。ちなみに「タイニー」と聞いてまっさきに「タイニーゼビウス」が思い出される人は間違いなくおっさんなので気をつけるように。
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エメルソン
サンパウロFCから2000年加入。爆発的なスピードと溢れんばかりの俺っぷりでゴールを量産し、札幌のJ2優勝に貢献。オフには彼の札幌残留を望むサポーターから多くの「完全移籍資金」が集まるも、当の本人は年俸100万ドルを要求、それが通らないと見るや「朝起きたら肩が反対になっていたのでブラジルに帰ります」という名言を残して帰国したまま、次に札幌に戻ってきた時は敵選手としてだったという、FF4のカインみたいな選手。川崎フロンターレを経てから浦和レッズに移籍した後の某サッカー雑誌でのインタビューで、「札幌にいた頃から浦和でプレイしたいと思っていた」という発言は、カインの「おれはしょうきにもどった」と同じくらいの衝撃を札幌サポーターに与えました。「ブラジル人ってのはこういうもんだ」とサポーターに教えてくれた最初のレジェンド。
後にパスポート偽造の罪で逮捕された際、札幌に来た当時18歳ではなく既に21歳だったことが判明。おまけにJリーグ在籍時の「マルシオ・エメルソン・パッソス」という登録名も偽名でした。まぁブラジル人については登録名に愛称を使う人も多いので、エメルソンが本名だろうが偽名だろうがあんま関係ないですけどね。
34試合31ゴール レジェン度...☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
アウミール
FC東京から2000年加入。物静かで性格も真面目、日本語も堪能ということで、エメルソン、ビジュ、ウィルといったクセのありすぎるブラジル人ばかりが所属していた中、「お守り役」として活躍。アルフィーでいえば坂崎さんであり、たのきんトリオでいえばヨッちゃんのポジションと言えますが、シブがき隊の薬丸ポジションとはちょっと違います。2000年オフにはいったんは契約満了となりながらも、チーム事情による再契約を受け入れたり、人柄に関するエピソードには事欠きませんでした。ただ、サッカーのテクニックについてはブラジル人選手としては正直いまいちな感じで、2000年の天皇杯横浜F・マリノス戦では、「決めればVゴール勝利」というどフリーのシュートを外してしまう失態を見せましたが、このシーンについては後に岡田武史監督(当時)が「一刻でも早くブラジルに帰るためにわざと外した」と暴露。いろんな意味で「やっぱりミールさんもブラジル人」であることをサポーターに印象づけました。
54試合1ゴール レジェン度...☆☆☆
ウィル
大分トリニータから2001年加入。肩が反対になって帰って行ったストライカーの穴埋めとして白羽の矢が立ったのが、「高い能力を持ちながらも気性難で扱いが難しい」と言われていたこの人。札幌に来てからも気性難は大して変わらなかったものの、崇めてくれるサポーターをいたく気に入ったようで、その能力を遺憾なく発揮。「スーパー北斗21号事件」や「サポーターに国歌(奥様熱唱バージョン)斉唱要求事件」など、数々の伝説を残すが、活躍しすぎてついうっかりJ1得点王に輝いてしまい、2002年に横浜F・マリノスに移籍。しかしスター揃いのマリノスではキングとして扱ってもらえず、プライドを痛く傷つけられた上にちんたらプレイしていたチームメイトを試合中に蹴ってしまい退団(キックオク事件)。翌年再びコンサドーレに移籍となり、初の「出戻り選手」となりました。ただし、キックオク事件による6試合の出場停止が移籍後も持ち越され、開幕から3試合を欠場。復帰後は福岡戦でのハットトリックを含む4試合4ゴールと大暴れするも、甲府戦での負傷による離脱中に深夜のススキノでも大暴れ。どうやら揉めた相手が悪かったらしく、そのままアンドラジーニャとのトレードで逃げるように大分に移籍。キングもやはり人間だったようです。
30試合28ゴール レジェン度:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ロブソン
スパルタク・モスクワから2002年加入。マリノスに移籍した俺王様の穴を埋める人材として、「ロシアリーグ1部得点王」という触れ込みで鳴り物入りで加入したものの、開幕からゴールどころかまともなシュートシーンすら見せない残念感あふれるプレイを連発。あまりのしょぼさに、疑問に思ったサポーターが調査した結果、「ロシアリーグ得点王は詐称」ということが判明。さらに、シーズン開幕前の某サッカー雑誌でのインタビューにおける「ロブソンは人格者だ」という紹介も空々しいばかりのロシア時代の悪行(乱闘など)も白日の下にさらされることに。結局、柱谷哲二監督(当時)の「ロブソンには責任を取ってもらう」という名言を引き出したことを最大の成果として5月末に退団。「経歴だけで判断してはいけない」「マスコミ記事を信じる前に自分で調べろ」など、我々に大事なことを教えてくれた選手でした。現在でも、札幌界隈で「ロシアリーグ得点王」といえば、経歴詐称を示します。使用例:「俺、今までつきあった女の子は片手だけじゃ足りないぜ」「それってロシアリーグ得点王でしょ?」
5試合0ゴール レジェン度:☆☆☆☆☆☆☆☆
ホベルッチ
コリンチャンスから2003年加入。「ブラジル代表で10番をつけていた」という、コンサドーレの歴代助っ人の中ではベットと並んでもっとも実績のあった人。デビュー戦で直接フリーキック2発をぶち込むなど能力は抜群だったものの、周りの日本人選手をまったく信用してなかったのか、パス出しが極端に悪く、日本のサッカーには合いませんでした。そんな中でも17試合の出場で5ゴールというのは立派な数字ではあったのですが、起用方法を巡ってのジョアン・カルロス監督(当時)との確執もあり、7月に退団。なお、彼の本名はRobert da Silva Almeidaで、普通に読めばロベルト、ブラジルポルトガル語の発音でもホベルチなので、彼の登録名ホベルッチの「ッ」がいったいどこから来たのかは、今をもって謎のままです。
17試合5ゴール レジェン度:☆☆☆☆☆☆
ベット
フルミネンセから2003年加入。ブラジル代表3キャップの実績の持ち主。視野の広さと長短織り交ぜたパスは一級品だったものの、運動量が少なく、日本のサッカー(特にJ2)にはいまいちフィットしませんでした。「なんでだろう~♪」と歌いながら練習したりとか、全治3週間のはずのケガを1週間で治してきたり札幌の背番号8を受け継ぐにふさわしいオモシロ人間の片鱗を見せていましたが、サンフレッチェ広島戦でブラジル代表の大先輩ボランチであるセザールサンパイオに軽くひねられたのがよっぽどショックだったのか、続くサガン鳥栖戦では精彩を欠いたプレイに終始し、直後にホームシックを理由に退団。一説によると通訳の鈴木ウリセスに(千歳)空港から電話をかけてきて、「もうここにはいられない。ブラジルに帰る」と、トレンディドラマのヒロインのように帰って行ったと言われています。コンサドーレ史上初の「5月病で退団」という伝説を残しました。
なお、この翌年の途中にサンフレッチェ広島に加入。こてんぱんにやられたサンパイオの後継に指名されたことがうれしかったのか、ホームシックにもならず札幌にいたベットとは別人のようなプレイでJリーグにもフィット。あまりにも違うので「別途」と呼ばれていたとかいないとか。ただし広島では最終的に暴力事件で解雇されているので、中身はあまり変わってなかった模様です。
7試合1ゴール レジェン度:☆☆☆☆☆☆☆
フッキ
川崎フロンターレから2006年加入。今となっては「この選手が札幌にいた」というのが伝説となるかもしれない選手ですが、当時は荒削りもいいところというか、素人目にもはっきりわかるほどのものすごい能力を秘めておりながら、とんでもない気性難の持ち主で、38試合の出場で25ゴールという得点力を見せた一方で、イエローカード15枚、イエロー2枚による退場2度、一発レッド1度という記録を残しています。「ガチムチ」の見本のような肉体でタックルしてきた相手が逆に吹っ飛んでもフッキのファウルとなるなど気の毒なジャッジもあったが、相手に右ストレートを見舞うなど言い訳できないレベルのファウルもあり、ガンダムでいえばEXAMシステムみたいな感じの選手でした。今やブラジル代表の中心。
38試合25ゴール レジェン度:☆☆☆☆☆☆
ダヴィ
ヴィトーリアから2007年加入。札幌に来る前はアマゾン奥地にある州3部リーグのチームでプレイしていたそうで、まったく期待されていない中で17ゴールというリーグ2位の得点を叩き出し昇格に貢献。J1でも異次元の弱さを誇るチームにありながら16ゴールを挙げました。その活躍が認められ、翌年名古屋グランパスに完全移籍。戦力としてはもちろん、移籍の際に300万ドルともいわれる高額の移籍金を残すなど、札幌の助っ人の中では貢献度上位に名を連ねる選手ですが、彼の伝説は森脇良太との試合中の濃厚なキス(※いちご味といわれている)など札幌から移籍していってからのほうが多いので、札幌の助っ人としてのレジェン度は少なめ。
65試合33ゴール レジェン度:☆☆☆☆
イタカレ
ヴィトーリアから2007年途中に加入。「しまふく寮」の料理長として、サッカー以外の面でチームに貢献しました。たぶんサッカー選手だったはず。ちなみにWikipediaでの彼の項目は、母国語であるポルトガル語のページがないのに、なぜか世界で46万人くらいにしか使われていないフィジー・ヒンディー語のページが存在します。ちなみにフィジー・ヒンディー語のWikipediaにはJリーグに所属していたブラジル人選手がたくさん載っているのですが、いずれもJリーグ在籍時のチームしか書かれていません。何かの暗号なんでしょうか。
3試合0ゴール レジェン度:☆☆
アルセウ
パルメイラスから2008年加入。J1昇格した札幌の目玉補強として獲得したものの、グアムキャンプでのテストマッチで乱闘の末、翌日退団という前代未聞の伝説を残しました。なお、例年新チームのお披露目として行われるキックオフパーティーにはビザの都合で参加できなかったため、誰1人として「コンサドーレユニフォーム姿のアルセウ」を見ることはありませんでした。なお、「合流1週間で退団」は最速退団記録として未来永劫残るものと思われましたが、この5年後、松尾直人による「合流することなく退団」という裏技クラスの離れ業によって破られることになります。
0試合0ゴール レジェン度:☆☆☆☆☆☆☆
ノナト
フォルタレーザから2008年加入。クラブ史上最多の133ゴールという記録を持つ「バイーアの英雄」として鳴り物入りでやってきたものの、全盛期の俺王様をも凌ぐ肥えっぷりでまったく動けず、リーグ戦出場は1試合4分という記録に終わりました。そのたった4分間の出場で、「サイドからクロスを上げようとしたら、ゴール前に飛ぶどころかアウトサイドにかかってゴール裏の看板を直撃」という、きょうび高校生の試合ですら見られないような素人っぽい「伝説のクロス」を披露。三浦俊也監督(当時)を唖然とさせてそのまま退団。ちなみに、「ノナト」で画像検索すると松村邦洋さんの画像が出てくるのはオレのせいです。
1試合0ゴール レジェン度...☆☆☆☆
クライトン
アトレチコ・パラナエンセから2008年加入。退団したアルセウからふんだくった(当然)違約金を元に獲得。視野の広さ、身体の強靱さ、精度の高いパスで、異次元の弱さを発揮し続けたチームにあって孤軍奮闘し、降格した翌年も数あるオファーを蹴って札幌へ残留...することにはなったものの、重病の父親の看護でグアムキャンプに参加せず、その間古巣アトレチコ・パラナエンセへの移籍が取り沙汰されるなど、動向がきな臭いままシーズン突入。キャンプ合流が遅れたこともあってか、あまりチームにフィットせず、J1昇格が怪しくなり始めた7月には慢性的に痛めていたアキレス腱の怪我の治療に専念したいという理由で、チームとの契約を解除しました。退団会見にて「給料をもらいながら治療を続ける選択肢もあるが、貢献できないならチームを離れるべきだと思った。今度は監督として札幌に戻ってきたい」という感動的な言葉を残してブラジルに帰国した2週間後には、満面の笑顔でアトレチコ・パラナエンセの入団会見に臨む彼の姿が日本でも観測されました。
53試合6ゴール レジェン度:☆☆☆☆☆☆
テレ
フォス・ド・イグアスから2012年途中に加入。州下部リーグでのプレイ経験のみという、既に風前の灯火状態だった札幌のJ1残留の切り札というにはあまりにもしょぼい経歴であり、実際デビュー戦では多少光るプレイは見せたものの、筋肉質な割にはケガがちでこれといった活躍もできず。札幌の降格には特に何の影響も与えず翌年もチームに残ったものの、開幕からゴールは奪えず。2013年の5月には遠征メンバーから外れたことで、深夜まで酒を飲んでくだを巻き、翌日二日酔いで練習に参加したため契約解除。緊縮財政下のチームにあって「外国籍選手を連れて行くと通訳分の遠征費もよけいにかかるから」という、どちらかといえばチーム事情もあってメンバーを外されたことは多少は同情できますし、二日酔いでも練習には来たことから、少なくとも真面目な選手ではあったのでしょうが、それはともかくブラジル人にしてはサッカーはうまくありませんでした。
10試合0ゴール レジェン度...☆☆☆
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というわけで13人の助っ人選手をご紹介しました。今まで札幌にやってきた助っ人の国籍って、全部で確か15カ国くらいあるはずなんですけど、ここの出てきたの見事に全員ブラジル人ですね。主にエメルソンのおかげで、我々サポーターも「ブラジル人には過度の期待をしない」意識がすり込まれているので、たいていのことには動じないようになっているのですけど、それでもこうやって並べるとよくもまぁこれだけの伝説があったもんだと思うばかりです。これからも札幌には多くの助っ人がやってくると思いますが、歴代のレジェンドを超える、我々の予想もつかない伝説を残してくれるのかどうか楽しみですね。