前回の更新で「北海道勢は第65回大会の室蘭大谷のベスト4が最高成績」と書きましたが、すいませんそれは誤りで、実際は1978年の第57回大会での準優勝(室蘭大谷)が最高成績でした。メールも含めて一斉のツッコミが入りまして、記憶違い&調査不足にはなはだ恐縮する次第です。改めて失礼いたしました。何しろ26年前ですからハタチのオレはまだ生まれてなかったもので…。
さて、年末あたりからこのサイトの更新ペースは上がったものの、よく考えてみたらほとんどトップチームの話題に触れていないことに気づきました。まぁとりあえずチームはオフ期間ですし、契約更改なんてのもあんまり興味がないので話題性に乏しいせいもあるのですけどね。ヤンツーこと柳下監督が札幌にやってきて記者会見でもすればまた変わってくるのでしょうけど、今のところは傍観といった感じでしょうか。
ところでこのヤンツー、おそらく皆さんも「なんでヤンツーなのか」と首をかしげたことがあると思います。オレもこれは疑問でした。日本人には榎本健一を「エノケン」、木村拓哉を「キムタク」というふうに姓と名を略して呼ぶことが多いですが、本名が「ヤンバルクイナ・ツタンカーメン」とかならまだしも「やなぎしたまさあき」をどう略そうとしたってヤンツーにはなりません。謎は深まるばかりです。少なくとも2年間は共にやっていく以上、これはもうサポーターとしては知っておかなければなりませんし、何よりわからないものをわからないままにしておくのは非常に気持ち悪いことこの上ありません。ここは是非とも真相を掴んでおかなければならないのです。じっちゃんの名にかけて。
で、早速調べてみたらジュビロ磐田のスポンサーであるネスレジャパンのサイト内のジュビロコーナーにある柳下監督のインタビューの中にその由来が書いてありました。そりゃ本人に訊くのが一番手っ取り早い、っつーかインタビュアーもやっぱり気になってしょうがなかったみたいですけど、ヤンツー自身の答えは以下の通りでした。
「これ、分からないんですよ。」
じっちゃん撃沈。
本人にすらわからないんじゃ誰だったわかるはずないじゃん。インタビューによれば小学校4年位の時知らないうちにそうやって言われるようになったらしく、なぜそう呼ばれるようになったのかは未だにわからないとのこと。この様子では多分名付け親が誰であったかすら謎のままでしょうが、その名付け親もその愛称がよもや30年以上も生きながらえ、しかも同窓会レベルとかじゃなく全国的に呼ばれることになるとは思っていなかったでしょうね。
まぁおそらくはそんなに深い理由はなかったのでしょう。「やなぎした」というのは長くて呼びにくいから、「やなぎ」とか「やっちゃん」とか呼ばれているうちに次第に進化していったとかそんな感じでしょう。まぁニックネームなんてそんなもんですよね。オレも本名が苗字だけで5文字あるのでよく略されまして、それが今の「ちゅう」というハンドル名になっているわけですけど、そう名付けられたのは大学ででした。つまり大学生ですらそんなレベルなのですから、ましてや小学生のつける名前に理由を求めちゃいけないのかもしれません。
そんなふうに一件落着したところで、観戦記のタイトルをどうしようかという問題が残るわけです。