コンサドーレ一覧

レジェンド伝説~ボランチ編~

この記事は「北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendar 2018」向けの記事です。

Advent Calendarへの参加も今回で6年連続となります。当たり前ですけど、参加しているサポーターの方々、みんなそれぞれの日常があって、それぞれの視点があって、全然違う人たちなんですけど、そういう人たちがひとつのチームの応援で集まってくるって、なんかこう、すげえな、なんて思います。超すげー。

それはさておき、今年も19日を予約しました。毎年Advent Calendarの19日は百鬼夜行さんが出てくることになっていますので、もう恒例ですよね。毎年ぴったり19日に書いてるんですよ。その証拠に、今までのAdvent Calendarでオレが書いた日付は以下の通りです。

2013年→12月11日
2014年→12月19日
2015年→12月10日
2016年→12月14日
2017年→12月19日

全然違ったわ。すまんな。

それもさておき、内容はいつもの列伝です。過去の記事はレジェンド→ストライカー→センターバック→ゴールキーパー→サイドアタッカーと来ましたので、やっぱりそうなると次はボランチ。ポルトガル語で「ハンドル」を意味する「volante」が元の言葉です。「ボランチなんて言葉は現代サッカーにはそぐわないから使うな!」という主張をする意識の高いフットボールファンの方々もおられたりしますが、知ったこっちゃねえのでここではボランチで通します。

ボランチの役割は基本的には守備がメインではありますが、単純な対人の守備能力だけでなく、危険なスペースを察知して埋めたり、奪ったボールを展開して攻撃の起点となったり、スペースがあればドリブルで前に運んだり、時にはペナルティエリアに入ってゴールを狙ったりと、チーム全体の状況とゲームの流れを読み、その状況において最適な選択肢を取る能力が必要と、とにかく万能性が求められるポジションです。そんなボランチのレジェンドたちの紹介です。

野々村芳和
2000年加入。当時の岡田武史監督から直々に加入を要請され、札幌にやってきました。キャプテンとして、スタメン11人中8人がレンタル選手という借り物競走だったチームをまとめて昇格に貢献。翌2001年も俺王様というクセのあるストライカーをうまく扱いつつ、J1残留を果たしましたが、この年傷めた膝の影響で契約満了となり、引退しました。
「(周りの選手をうまいこと動かして)一度もボールに触れずに勝つのが理想だった」と話しているとおり、人を動かすこととトークスキルに長けており、引退後もその手腕を存分に発揮して、解説者や番組MCとして活躍する一方で自ら会社を経営、2013年に北海道コンサドーレ札幌の社長に就任しました。
なお誕生日の5月8日は声優の藤井ゆきよさんとうちの息子と同じ、というどうでもいい情報を付け加えておきます。

今野泰幸
2001年加入。当時はまったくの無名の存在で、東北高校卒業後はソニー仙台への加入が内定していましたが、札幌の練習に参加した際に当時の岡田武監督の目にとまり札幌加入となりました。卓越したボール奪取能力とカバーリング力で1年目から主力として活躍。その18歳らしからぬフィジカルと判断力で、飛び級でユース代表にも選ばれました(※残念ながら本大会はケガで欠場)。
当時ユース代表に今野の他にもMF山瀬功治、GK藤ヶ谷陽介を送り込んでおり、「このトリオがいれば10年安泰」とまで言われていました。2年しか持ちませんでしたけど。
2002年も主将としてワールドユース本大会出場を果たすなど代表での活躍の一方で、チームの成績は低迷しJ2に降格。2003年、惜しげもなくお金を使って1年でのJ1復帰を目指し、ものの見事に失敗して、リセットボタンを押さざるを得なくなったチームに巻き込まれる形で、FC東京へ移籍していきました。その後の日本代表も含む活躍はご存じの通り。現在はガンバ大阪に所属し、35歳となった今でも現役でプレイしています。現役の最後に札幌戻ってこないかな…。

鈴木智樹
2004年加入。ユース出身者としては2002年の新居辰基に次ぐ3人目の昇格者(※この年はGK蛯沢匠吾も昇格している)。「五段階計画」という実質「弱くてニューゲーム」を選択した柳下正明監督下のチームの中でいち早くレギュラーポジションを掴み主力として活躍しました。スタンドのどこから見てもすぐわかる「ぽよんぽよん走り」と呼ばれた独特の走行フォームで、一部マニアの人気を博しました。確か2006年の厚別の水戸ホーリーホック戦でフリーキック決めたの、現地で見てた記憶があります。
しかし、2006年いっぱいでその柳下監督が退任、2007年に三浦俊也監督が就任すると、守備があまり得意でなかったためか出場機会が激減。この年チームはJ1に昇格し、翌2008年に1年でJ2に舞い戻ってきましたが、結局この2年間の間リーグ戦での出番はなく、このシーズン限りで契約満了となり、現役を引退しました。引退後はクラブのフロントスタッフとなり、強化部所属のS木T樹さんとして暗躍しています。

上里一将
2004年加入。宮古島初のJリーガー。当時の柳下監督が「何もない選手だった」と評していましたが、その類い希なる左足のキックを武器に、1年目から活躍しました。
2年目になると、チームが1ボランチシステム(通称・たばたん過労死システム)を採用していたことなどもあって、ボランチだけでなく攻撃的MFとしての出場も多かったのですが、めきめきと頭角を現しレギュラーポジションを奪取。これからの札幌を担う選手としてサポーターの期待を集めていたのですが、この年の夏、前十字靱帯を断裂する大怪我を負い、長期離脱を余儀なくされてしまいました。
翌年復帰するものの、なかなか怪我前のパフォーマンスを取り戻せず、、2007年になると守備重視の戦術で出番が激減。2008年の終盤から徐々にポジションを奪い返すと、2009年には主将に任命され主力として活躍。この年のアビスパ福岡戦で決めた60メートル以上のロングシュートは今でも語り草になっています。
しかしこの翌年以降パフォーマンスは低下。2011年にはFC東京へ、2012年には徳島ヴォルティスへ期限付移籍した後に2013年札幌に復帰。なんか見違えるように逞しくなり、過去一番ともいえるパフォーマンスを見せていましたが、この年再び前十字靱帯を断裂して再び長期離脱。翌シーズン復帰を果たすものの、以降は怪我に悩まされることが多く本来の力を発揮しきれないまま2016年シーズンで契約満了。2017年からはロアッソ熊本でプレイしていますが、2018年シーズンで契約満了となっています。

大塚真司
2006年加入。柳下体制3年目となる年にJ1昇格を狙うべく、攻撃のキーマンがフッキなら守備のキーマンとして迎え入れたのがこの人。大宮アルディージャやモンテディオ山形でプレイしていた時は、対戦時に何度も痛い目に遭わされていたJ2屈指のボランチで、柳下監督自身が獲得を熱望、極秘裏に獲得に動いていたことを新聞にリークされ、その記事を見た柳下監督が激怒したと言われています。まぁそれ以外でもいっつも怒ってましたけどねヤンツー。
2006年は昇格はならなかったものの主力として活躍。あまり攻撃のイメージがない守備職人といったイメージでしたが、豪快なミドルシュートからのゴールも見せています。
2007年もシーズン終盤まで主力としてチームを牽引しましたが、第48節愛媛FC戦で前十字靱帯断裂の重傷を負い長期離脱。翌2008年復帰を果たすものの、以前のパフォーマンスを見せられないまま、J2降格したチームを契約満了で退団、現役を引退して大宮アルディージャのアカデミースタッフ入り。現在はトップチームでコーチを務めています。

クライトン
一度「レジェンド伝説」で取り上げた選手ですが、札幌のボランチでは外せない選手なので再度書きます。2008年加入。「キャンプ中に退団」という前代未聞の面白退団劇を見せたアルセウからふんだくった違約金を元に獲得した選手です。
ドレッドヘアーをなびかせながら強靱な肉体で相手を弾き飛ばしていく様はまさに「プレデター」で、主力が怪我でバッタバタと離脱していく中、ボランチのみならずFWやトップ下もこなす鬼神のような活躍を見せていました。この年J1リーグ2位となる16ゴールを挙げたダヴィとともに奮闘しましたが、チームはあえなくJ2降格。クライトン自身も重病の父親の看病のためシーズン終了前に帰国しており、誰もがこのまま退団だろうと思っていましたが、翌2009年なぜか札幌に残留。とはいえなかなかキャンプにも合流せず、またアキレス腱痛の悪化などもあり本来のパフォーマンスを出せないまま結局シーズン半ばで退団、「いつか監督として戻ってきたい」という感動的なセリフを残し帰国した2週間後に、アトレチコパラナエンセの入団会見をしていました。
その後、複数のブラジルのクラブを渡り歩いた後、2013年に現役を引退。現在はクルゼイロでコーチを務めているようです。監督として戻ってくる話は、今のところありません。

河合竜二
2011年加入。横浜F・マリノス黄金期を支えた選手として複数チームによる争奪戦の末、おそらく提示された中での条件はだいぶ悪かったであろう札幌にやってきました。もうこの時点でレジェンド(そして申し訳ない)。
加入初年度からキャプテンを任され、本職のボランチだけでなくセンターバックとしても力を発揮し守備を支え、ロアッソ熊本戦では豪快なミドルシュートを決めるなど(ノブリン曰く「年1のゴール」)でJ1昇格に貢献。
翌2012年は史上最速降格の憂き目に遭い、予算の関係上主力選手の多くが退団していく中でチームに残り、数少ないベテランとしてチームを牽引。ケガによる離脱もあったものの、終盤に復帰してプレーオフ一歩手前まで導きました。その後も主力として多くの試合に出場、2016年のジェフユナイテッド千葉戦での内村圭宏のアディショナルタイムの決勝ゴールアシストは、サポーターに語り継がれていくことでしょう。
2017年の終盤に負った左足腓骨骨折の大怪我の影響もあり、2018年は試合に出ることができないままこの年限りで退団となりましたが、2016年に宮澤裕樹に譲るまで5シーズンキャプテンを務め、チームのまとめ役のみならず、その後の小野伸二加入や兵藤慎剛加入に一役買ったりするなど、試合以外での貢献も多大で、表立って札幌愛を広言することはなかったものの、道内各地でのイベントなどにも積極的に参加するなど常にチームとホームタウンに尽くした、まさしくレジェンドと言っていい存在でした。