2024年12月一覧

其は如何にして赤黒信徒となりし乎

はじめに

毎年恒例のコンサドーレアドベントカレンダー、今年も19日を選びました。というか、ちょうど1年ぶりの更新です。生きてます。歩いてます。

いつも19日を選んでいる理由は以前書いたのでご存じの方も多いかと思いますが、ご存じない方々のために端的に説明しますと、「おニャン子クラブ」の岩井由紀子さんの会員番号が19番だったからです。心底どうでもいい情報として、誕生日が同じ5月26日です。運命ですね(ストーカー的思考)。

そんなわけで、このアドベントカレンダーの記事でもちょくちょく19にちなんだエントリーを上げてたりするのですが、今年もなんか19にちなんでみようかと思って、何にしようかといろいろ考えた結果、ちょうど我が娘が今年19歳になったことを思い出しました。

そもそもオレが人の親をやっているということ自体が未だに自分でもびっくりなのですが、東京生まれ東京育ち、練馬大根スパゲティー(※実在します)を食ったやつは大体友達の娘が、どんな感じでコンサドーレサポーターになったかをネタに、19年間を振り返ってみようかと思います。本人に許可は取ってませんけどまぁええやろ。

娘が産まれたのは、19年前の2005年。大ヒットを記録したレミオロメンの「粉雪」がリリースされた11月16日から数えて2週間後、「コンサドーレ老害古くからのサポーターが選ぶ、チキチキクソ試合決定レース」を開催するとしたら、おおよそ「ベストオブクソ試合」として多大な支持を得るであろうこと請け合い、「ベストではなくワーストでは?」という至極もっともなツッコミはともかくとして、あの「伝説のロスタイム3失点」こと11月23日のヴァンフォーレ甲府戦の一週間後、11月30日のことでした。

というか、「粉雪」ってもう19年前の歌なの!?

あの時君は若かった

さて、ご存じの通りその甲府戦で2005年の札幌のJ1昇格の可能性はなくなったのですが、この年アカデミーには明るいニュースがありました。高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会において、2002年と2003年のU-15大会で決勝まで進んだ西大伍を中心とするメンバーに、藤田征也を加えたコンサドーレ札幌U-18チームが、青森山田高、滝川二高といった高体連の強豪チームを次々と撃破して、決勝まで駒を進める快進撃を見せます。

そんで、この大会の準々決勝以降のコンサドーレの試合会場が全て(旧)国立競技場で自宅か割と近かったこともあって、臨月を間近に控えたうちのカミさん、「産休入ってヒマだから」という理由で、娘入りの大きなおなかを抱えて、決勝までの3試合全部見に行ってたわけですよ。

決勝では小林裕紀、河野広貴、三原直樹ら、後にほとんどがプロに進むメンバーを擁していた(この時ゴールマウスを守っていたのが高木駿さん)ヴェルディユース相手に1-4の完敗を喫するのですが、コンサドーレアカデミーのサッカー三昧が胎教となっていた時点で、産まれてくる娘がクソサポーターになる素地は既にできていたのかも知れません。

娘が産まれてから数年は、子育てで忙しかったこともあってオレもスタジアムからは足が離れがちではあったのですが、それでも行ける試合にはたまに行っておりました。娘のスタジアムデビューは、2006年4月29日、西が丘での東京ヴェルディ1969(当時)戦だったと記憶しています。少し前にTwitter(現X)で、スタジアムに赤ちゃん連れてきてなぜか炎上してたサポーターさんがいましたけど、この時の娘も生後5ヶ月だったので、当時Twitter(現X)があったら、オレも炎上していたかも知れません。

この試合の札幌は、開始早々に失点して特に何のいいところもなく0-2で負けているのですが、普段ほとんど手のかからない娘が、この日珍しく試合中にぐずりだしたため、カミさんに連れられて前半でスタジアムを後にしております。赤子ながらにショボい試合展開に嫌気が差したのかもしれません。この辺りにもクソサポーターの片鱗が見受けられます。

さて、この年の札幌は、フッキという強力ストライカーや当時J2最高のボランチと言われた大塚真司(現ヴァンフォーレ甲府監督)を擁し、昇格候補の一角に挙げられながらも、不安定な戦いを繰り返してやはりJ1昇格を逃しているのですが、天皇杯ではベスト4までコマを進める快進撃を見せています。2006年12月9日にフクダ電子アリーナで行われたアルビレックス新潟戦、「佐藤優也の自作自演によるPK戦勝利」の試合として、老害古いサポーターの中では今でも語り草になっている試合ですが、1歳になったばかりの娘もスタンド観戦、寒い中でもぐずることなくPK戦までの一部始終を見ておりました。当時Twitter(現X)があったら炎上していたかも知れません。

その後もなかなか現地まで足を運べる試合も多くないながらも、札幌に帰省した時に札幌ドーム(現・大和ハウスプレミストドーム)でのホームゲームを実家の家族と揃って見に行ったり、近場でのアウェイ戦にちょいちょい2人で見に行くくらいはしておりました。それもだいたい、「コンサドーレを見に行きたい父親が、娘が断らないのをいいことに付き合ってもらっていた」という感じで、娘も試合を見るより携帯ゲーム機で遊んでたりすることのほうが多かったので、サッカー自体にさほど興味はないんだろうと思っていたんです。それでもついてきてくれるだけありがたいですから、オレもそれ以上を求めるつもりはなかったんですが…。

思えば遠くへ来たもんだ

違和感を覚え始めたのが、2012年4月28日、NACK5スタジアムでの大宮アルディージャ戦でした。

娘が産まれる前までは私もゴール裏の住人でしたが、娘が産まれてからは小さい子連れでゴール裏に行くのはさすがに自分の気が引けるので、メインやバックスタンドで観戦するようにしてたんですね。で、この日も2人でバックスタンドで観戦していたのですが、試合終了後、ゴール裏で応援するサポーターたちを見て、ボソッと「あそこ面白そう」と呟いたんですよね。たぶん当人は憶えてないと思いますが。

この試合は1-2で負けているので、「あそこ」にいた人たちもたぶんそんなに面白くはなかっただろうと思うんですが、当時小学校1年生には何やら楽しい場所に見えたのかも知れません。

そして、その次に見に行ったのが、2012年9月29日に等々力陸上競技場(現・Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu)で行われた川崎フロンターレとのアウェイ戦。この日はメインやバックではなく、2層あるビジタースタンドの2F席で観戦していました。1Fは立って応援、2Fは座って見る、そんな感じだったためです。そのハーフタイムで娘がこう言ってきました。

「下に行きたい」

正直、今でもそうですけど娘は割と人見知りの激しい女ですし、騒がしいのもあまり好きではないと思ってたので、「みんな立って応援するところだけどいいの?」と訊くと、

「それがいい。あの中に入りたい

マジか。本人がいいならいいんだけど…と、娘を連れて下に移動。自分自身も久しぶりのゴール裏です。娘も応援歌なんてほとんど知らなかったと思いますが、後半の45分間を見よう見まねで、立って応援してました。これがゴール裏デビューでしたね。

そして、もうお気づきの方も多いかと思いますが、この日札幌は川崎に0-1で破れ、J2降格が決定しています。Jリーグ史上初の9月での降格決定、もちろん史上最速記録更新のおまけつきです。うちのカミさんの誕生日の翌日のことでした。人の心とかないんか。

だからわたしは北国へ

ゴール裏デビュー以降、娘もいつの間にやらコンサドーレへの興味が増してきたようで、レ・コン・ビンのサッカー教室に参加したり、アウェイの東京ヴェルディ戦でエスコートキッズとして参加して石井謙伍選手と手を繋いで入場した際、石井ちゃんから「大丈夫? 寒くない?」とめちゃくちゃ気を遣ってもらいながら「マエシュンが良かった」と宣ったり、関東後援会の宴会に参加したがるようになったり(父親が連れてきたんじゃないんです、娘に父親が連れてこられたんです。今でもそうですなど、着実にダメな道に進んだ結果、小学校高学年になる頃にはゴール裏をメインとするようになり、大学生になった今では、髪を赤黒にして、アルバイトも始めて時間とお金に比較的余裕ができたことで、推しである中野小次郎(2メートル)に会いに行くために、勝手に一人で北海道に飛び立っては、札幌の父の実家に泊まり込むなど、イカレサポーターの道を邁進しています。親の顔を見てみたいですね。

そんな娘が19回目の誕生日を迎えた今年の2024年11月30日、娘の愛する北海道コンサドーレ札幌からの誕生日プレゼントは、試合もないのにJ2降格でした…。来年は別に誕生日じゃなくていいので、J1昇格をプレゼントしてほしいものですね。